はじめまして、勤務医ブログ責任者、外科医勤務歴30年余りの『The 勤務医』と申します。
私は、自営業の両親のもと、北九州で生まれ、幼少期は光化学スモッグの中で育ちました。
その中で、近所の公園で、パッチン(めんこのこと)、ビー玉、コマ回しに明け暮れ、段ボールの中のパッチンの量、ビー玉の数と種類、コマの芯をやすりで研ぐことを一生懸命やっておりました。
中学・高校にすすむと、競争意識が試験勉強にシフトし、部活の卓球をやって、中間・期末の試験休みに、集中してやるといった生活を送っていました。
この時の強烈なインパクトがインベーダーゲームでした。
学校帰りや休みの日は、喫茶店によって、コーラを頼んでピコピコとよくやっていました。
高校では理系で、電気工学志望、ソニーといった大手の電機会社でサラリーマンを夢見ておりましたが、高3の冬に、親父から“サラリーマンより医者がいいぞ”といわれ、“それもそうかな”とも思い、地方の国立大学医学部を受け、入学させて頂きました。
大学に入ると、受験勉強からの開放で、全く勉強をしなくなり、部活(野球)と麻雀とパチンコと飲み会に明け暮れました。
そうすると教養から専門に上がる時に留年しました。怠けな生活をしていたので、留年も当然かなと普通は納得するところを、かなり落ち込んでしまいました。
それからは、学習の習慣を徐々に取り戻し、医師となりました。ただ、医師国家試験は、今まで受けた試験の中で最もプレッシャーを感じました。パスして当たり前と思われがちですがですが、落ちたら、やばいです。医師国家試験は度重ねるごとに、合格率が悪化します。私の友人にも、塾講師になったり、病院の事務に転向した人もいます。
そんなこんなで、外科(消化器外科)を選びました。外科に入った理由は、飽きっぽい性格とブラックジャックへの憧れでした。
当時は臨床研修制度もなく、卒業=入局(医局に入ること)となります。教授からは、“患者さんの状態が悪いときは、ベッドサイドに居なさい”といわれ、大学病院に3週間ほど泊り生活を送ったこともありました。
そのうち、結婚し、子供も3人となり、アメリカに1年留学しました。アメリカでは腹部外科の臨床をやり、手術に入っていました。ただ、手弁当で留学したので貧乏でしたし、借金が底をついたところが留学の終了でした。
米国での生活は、経済的には低レベルでしたが、医療と人生経験は最高でした。
通じない英語、最高水準の外科医療、異文化の人たちとの交流、どれも、「経験し、学習しながら、少しずつでも上達や知識、経験値の向上が感じられる」、これが「充実した人生」と実感しました。
帰国してからも、大学病院や急性期病院で外科医を続け、外科医歴30年以上たちました。
外科医になったことは、決して後悔はなく、有難き人生かなと思っています。
それと同時に、これからの人生、何か目標、モチベ、楽しみを託すために、このブログを立ち上げました。
勤務医ブログは、『勤務医、金融リテラシー』に関する情報を“ユーザーの疑問・お悩み”にフォーカスし、解決策をお伝えするwebサイトです。
1.勤務医関係の経歴
- 経歴:地方国立大学卒業
- 現在:急性期病院の一般・消化器外科医
- 資格:医学博士、日本外科学会専門医・指導医、日本消化器外科学会専門医・指導医・消化器がん外科治療認定医・日本肝胆膵外科学会高度技能指導医、日本内視鏡外科学会技術認定医(消化器・一般外科領域)、外国人医師臨床修練指導医、FACS(Fellow of the American College of Surgeons)
- 留学:アメリカへ1年間
- 顧問医:弁護士法人医療訴訟部門
2.金融リテラシーの実績
- 金融投資(仮想通貨と米国株)
- 不動産投資
- アメックスカード・ヘビーユーザー
- マイルを使った国内外学会参加・海外旅行
- ポイントを使った国内外のホテル宿泊
- 副業研究家
- 医師の給与・バイト代・転職交渉
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【メッセージ】勤務医×ブロガー。勤務医(外科医、産業医、弁護士法人顧問医)、仮想通貨、アメックス・マイル、副業を中心に発信します。