医療訴訟は、客観的にスムーズかつ納得して解決するには、困難な問題を多々抱えています。
なぜなら、患者、弁護士側は、そもそも、素人さんです。後遺障害あるいは死亡という結果を鑑みて、そこに感情が入り、主観的感情に満ち溢れることになります。
それはそれで、人間ですから、感情や怒りをもとに、医療機関に訴求を行うことは、理解できます。
ただ、医療機関に訴訟をするからには、過誤、過失の事実認定が必要になります。
医療機関サイドは、全員プロ(医師、看護師、担当弁護士、医師会など)ですから、訴求案件が過失、過誤であるかは、おおむね理解できます。さらに、ブラックゾーンをグレーゾーンに、グレーゾーンをホワイトゾーンに持っていくすべもわかっているわけです。
それに対して、患者、弁護士サイドは、はっきり素人さんです。
カルテ開示は、当然の権限としてできるわけですが、それをもとに、客観的に医療機関の過失、過誤を訴求するのは、たいていは至難の業となります。
そこに必要なのが、その道の専門医の意見書です。意見書は、開示されたカルテ、画像、検査所見、IC書類などから、事実関係を、プロの立場から、解説し、顕名入りでドキュメント化します。
これには、専門医の労力が注ぎ込まれるわけですから、それなりの費用が発生します。
しかし、ここを惜しんでは、訴訟に持ち込むことは、ほぼほぼ不可能です。
医療訴訟の勝訴率(何らかの賠償を得ること)は、現状25%です。訴訟までに行きつくのに困難があり、行きついたとしても勝訴率は25%です。
外科医を永らく行っておりますと、すべての患者さんがハッピーエンドとなることはありません。
患者・家族の方は、手術前に合併症は死亡率を含め、いくら、丁寧に説明されても、結果にすべてコミットすることになります。
ずばり、手術に伴う、リスクファクターは、ほぼ頭の中から消え去るということです。
私も、"この患者さんにこの手術をすると、○○、△△といった合併症で、手術死亡率が××%位はあるかと考えます"と説明して、理解できましたので、手術をお願いしますと、言われ、手術で○○の合併症でお亡くなりになられた患者さんがいらっしゃいました。
この結果を受けて、家族の方は、カルテ開示を求め、弁護士を立てられ、訴訟寸前までに行きました。
ただ、訴訟に至らなかったのは、手術の説明と同意書に、上記の記載があったからです。事前にリスクについて説明を受け、納得され、署名があったからです。
他にも、いろいろな事案(訴訟を受けそうになる側)がありましたが、幸い、訴訟に至ることは現状まではありません。
ただ、医師という職業を選択している以上、このリスクは常にあります。
「不可避の結果」か、「過失または過誤」か?
この線引き、判断は非常に難しいです。
例えば、膵臓の手術後に致死的な合併症として、膵液ろう=膵液が腹腔内に漏れること、があります。膵液が腹腔内に漏れて、感染を併発しますと、動脈も溶かすことがあります。
動脈が溶ければ、遊離腹腔内出血で、突然死に至ることもあります。
じゃあ、仮にこの合併症が起こった場合、大概のケースでは、不可避の結果=膵液ろうによる動脈破綻として、ストーリー化されてしまいます。
ただ、この場合、手術時に動脈の外膜損傷により仮性動脈瘤を形成し、術後の一過性の高血圧により、破裂した可能性もあるわけです。
こういったことは、患者さん家族含め、弁護士の先生にも想像は全くつかないわけです。
これを、その領域のプロに委ねると、客観的に事象を解説できることになります。断定的にいつも可能とはいきませんが。
これが、医療訴訟における専門医の意見書の効力です。
The 勤務医は両サイドの立場からさまざま経験し、活動しています。
医師としては、常に、客観的にわが身の言動を、第3者の尊敬する領域プロを、かたわらに見立て、評価しています。
意見書作成の立場としては、中立・医学的に公正明大に意見を発出しています。
どちらの立場からも、経験値は高いと自負しています。
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